1975-07-02 第75回国会 衆議院 商工委員会 第31号
戦前では二カ月、三カ月はおろか、海軍燃料廠、陸軍燃料廠あたりは、当該関係者の使用量の二年間分ぐらい、それ以上備蓄しておったものでございます。したがって、六十日では世界レベルよりも低うございまするし、仮にそれが九十日になったとしても、決して備蓄が多過ぎるということには相ならぬと存じます。しかるところ、本法案は九十日、まあそれは段階的にはそれで結構だと存じます。
戦前では二カ月、三カ月はおろか、海軍燃料廠、陸軍燃料廠あたりは、当該関係者の使用量の二年間分ぐらい、それ以上備蓄しておったものでございます。したがって、六十日では世界レベルよりも低うございまするし、仮にそれが九十日になったとしても、決して備蓄が多過ぎるということには相ならぬと存じます。しかるところ、本法案は九十日、まあそれは段階的にはそれで結構だと存じます。
戦前では海軍燃料廠、陸軍燃料廠等々が、それに必要な二年間分の備蓄をしておった前例もこれあり、三カ月をいま政府が規定したからと言ったって別に私は長いとは思っておりません。
海軍燃料廠、陸軍燃料廠、その他、その他が最低三カ月から四カ月は持っていたのです。しかも話によりますと、本年度は大体二億キロリットルの需要であったが、十五年後には七億キロリットル余になる、そういう想定が立っておるようですね。そうすると、毎年急上昇をするわけです。十五年後には今日の三倍になるわけなんです。
これは川崎の元の陸軍燃料廠の土地を東京電力の火力発電所敷地として売却したのでありますが、東京電力の方では早期に工事に着手したい、正規の売り渡し契約の締結を待たずして一応その土地を使わしてもらいたいという意味におきまして、請書——一つの申請書でありますが、これを提出したのでありますが、その内容を見ますると、本件土地は坪最高五千九百三十円の範囲内において買い受けますから、工事を早期に着手さして下さい、こういうような
岩国の陸軍燃料廠は二十七万坪ある非常に厖大な地域でございますが、その中で只今返還を受けておりますのが十万坪、転用済みのものが五万坪ばかりございますが、なお非常に大きな地域が残つております。
次に旧岩国陸軍燃料廠。旧岩国陸軍燃料廠にて利用価値のあるおもなる装置は、原油精製装置、変性装置、附帯装置等でありますが、返還未利用地及び賠償地域を含めて約二十五万坪に対し、以前より具体的転用方法が研究されておりましたが、今回アメリカの賠償取立中止声明によりまして、急速度に進展しつつあるのであります。各社ともこの成行きを注視し、一時使用可能とならば、ただちに建設に乗り出さんとする意気込みであります。
この九十一頁の一に掲げてありまする防府工場の設備査定としまして五千九百萬圓、その中三千三百萬圓が出ておりますが、更にその中のせんごう設備の汽罐部に計上をしてありますバフコツク罐四基でありますが、五百萬圓が元陸軍燃料廠の防府の出張所の國有財産を廣島財務局から一時使用を受けておるわけでありまする。
その後、なぜまた殖えたり減つたりしておるかということになると、これは鹿沼地區の貨車の中に、やはり元鹿沼の陸軍燃料廠にあつたモビールその他が積みこまれていたわけであります。これはやはり今市貨物が、その當時陸軍の燃料廠からもらつたのであります。もらつたと言いましても、運賃の代償としてもらつたという性質のものでありますが、これを貨車の中で押えたのであります。
ここに岩國の帝國陸軍燃料廠の跡であるところの工場を初めとして、全國に五つの轉換工場がある。その能力は五十八万トンと称せられております。これを今轉換工場として利用すれば、われわれの食糧問題は根底から解決するのであります。私は眞に食糧解決の意味から、総理大臣みずから、こうした民族の食糧を解決すべき根本問題の解決にあたられることを希望したい。